息子が4歳の時に自然な形で卒乳しました。
普通の家庭では、これは長い期間と感じられるかもしれませんが、私にとっては特別な瞬間でした。
4歳で卒乳したことは、寂しい一方で、自然な過程に感謝しています。
今回は、卒乳が遅いと気持ち悪いと感じる人たちについて考えてみたいと思います。
卒乳が遅いと気持ち悪いと思われることについて凹んだ日々
卒乳が遅いことを気にされる方もいるでしょう。
個人的には、特に人前で授乳をするわけではなく、あまり自発的に話題にはしないのですが、一部の人々はこの点について感じることがあることを認識しています。
また、医療機関で授乳についての申告が必要な場合もあり、医師からのアドバイスによって、子供が一定の年齢に達していないことを指摘されたり、その点で悩んだこともあります。
実際、私自身が最も不安に感じたのは、おそらく2歳ごろだったと思います。この時期には、子供の成長や発達が他の子供と比較され、称賛や叱責を受けることが多かったように思います。そのため、他人から卒乳が遅いと指摘されることは、単に嫌なだけでなく、心の中で苦しい思いをしました。
「気持ち悪い」と思われているのではないか、いつまで授乳を続けるつもりなのか、と自己評価を下げることさえありました。
働き始めて気持ち悪いと思われることがどうでもよくなった
3歳を過ぎた頃から、ちょうど別居生活を始め、自身もパートで働き始め、生活のリズムが大きく変わりました。この時期、以前の鬱々とした性格も徐々に回復し、病院で「断乳させないと可哀想」と言われても、気にせずに自然な形で授乳をフェードアウトさせる決断をしました。他人から気持ち悪いと思われていても、自分はそれを気にしないし、単に価値観が異なるだけだと考えられるようになりました。
物理的にエゴサーチをする時間もなくなり、貴重な休日を病院で過ごすことなく、子育てと仕事に忙殺され、無駄な悩みをしなくなることが、実は良かったのです。
何かしらの悩みがあるときに、新しいことを始めることが解決への良い方法かもしれませんね。
人との比較は不幸の始まり
妊娠後、他人との比較が絶えず行われることは、本当に不幸の元であると感じます。
他人を褒める場面でも、「うちの子はこれしか話せないから…」という比較が当たり前に行われています。気づいたら、比較合戦が日常となっています。
例えば卒乳の場合、他人と比較して2歳、3歳遅いだけのことですが、何十年後には、乳を揉んだ経験があるかどうかで大騒ぎになると思うと、まるでコントのように感じられます。
卒乳について調べると、ほとんどの情報が「いつ?」や「平均」に関するものです。しかし、子供の消化器系に問題がなく、病気でもない場合、他人や世界平均と比較して、いつまで授乳を続けるべきか真剣に悩んでしまうことがあります。
親として、子供が健康に成長することを願うのは当然ですが、普通から外れたことをしても問題はありません。しかし、日常的に比較合戦を続けてしまうと、自分が苦しんでいることに気付かなくなります。したがって、意識的に自分がどう感じているのか、他人との比較で悩んでいるのかを考えることが大切です。子育て中、比較合戦に苦しむことなく、自分らしい育児を楽しむためにも、この考え方が役立つかもしれません。
気持ち悪い、断乳させた方がいいと言う意見とどう向き合えば良いか?
他人の生理的な価値観に向き合う必要はないと思います。
人々は多様であり、異なる価値観を持っています。卒乳が遅いことを気持ち悪いと感じる人もいるでしょう。同様に、人前でオナラをすることを好む人もいれば、愛情表現と考える人もいます。生理的な部分についての価値観は、理解しようと努力しても完全に理解できないことがあり、優劣をつけるべきではありません。
ですから、他人が気持ち悪いと感じたり、断乳を勧めてきたりした場合、その話題には乗らず、距離を取ることが正解だと思います。エゴサーチも避けましょう。
ただし、家族内での問題になると、難しい状況が生まれることもあります。そうなった場合、別居が一つの解決策かもしれません。生理的な部分で妥協点を見つけることは難しいこともありますが、別居が極端な解決策であるため、慎重に検討すべきです。
また、結婚する際には、生理的な部分を含む相手との合意や適合性についてよく考えることが重要です。自分の胸のことは自分が決めるべきであり、他人の意見に左右される必要はありません。授乳が長く続くかどうかは、自分の意志で決めるべきであり、自分が気にしない限り、他人の評価に左右される必要はありません。これが結論です。